レッジョ・チルドレン現地視察を経て、
さまざまな学び、気づきがありました。
レッジョ・チルドレンの事例を用いて会話をすることは、
多様な人々が「こども」=「未来」をコアに、語り合うことのできるツールになります。
それぞれの立場や興味のありどころによって、
焦点や話題が広がっていく。
誰もが持ち合わせている、人々の根源的な分野から、
その土地ならでは育まれる地域の資源と街の未来へ。
幅広いフィールドが包括されています。
幼児教育のアプローチとして、とらえられがちですが、
本質的に、幼児教育とは、何であるか?
我々、1人1人がどう生きるか?
そこは、レッジョ・チルドレンの特徴であり、問われているところだと感じます。
情報は、伝えられたその部分だけを理解するものではないと思います。
その背後にある世界、歴史や人間模様、感情をも、察知、想像のできる感性をも身に着けたいものです。
レッジョ・チルドレンは、とても上手くクオリティーがコントロールされています。
何より美しく。インスピレーションを放っている。
全てが作品のようです。
こどもをとらえる視点、感性。こどものどういう瞬間、姿が美しいか?どこが面白いか?
それらが上手くとらえている
まるで壮大なアートプロジェクト!
幼児教育、「こども」をキーワードとすることで
今まで、アートに触れなかったひとに、アートの可能性が広がっている。
みなさまは、レッジョ・チルドレンの何に惹きつけられますか?
一緒に語りましょう。
今回、研修ツアーは、多くの学びがありました。
しかし、その歴史、レッジョ・チルドレンが育まれたプロセス住民の息吹き、こどもに対する汗匂いなど、生の部分を肌で感じることはできませんでした。
なぜか、街中を歩いていても、全く無。それがとても不思議でした。
プロセスが大事というレッジョ・アプローチ、
数日の滞在では難しいと思われますが
レッジョ・エミリアが育んだプロセス、今をもっと感じたかったです。わからないものは、わからないまま。
そんなに簡単にわかるものではない、わからないことを楽しみ、次への探求の種とします。
レッジョ・エミリアの街は、観光として訪れるには、魅力的なところが少ないかもしれません。
しかし、そこに暮らす人々にとっては、穏やかで住みやすいところのような気がしました。
面白そうな感じのお店、ギャラリー、ファッションやフード、娯楽や歓楽街
自然食品のお店も少ない。街を歩いていてもわくわくするような感じはなく、ひっそりとしたところ。
びっくりしたことは、ここは‘食’イタリア。
その辺のお店に入ったら、料理が美味しくない?!
ある程度、お金を出せば、まぁ美味しい。(これらは旅行者の個人的な感想です)
と思っていたところ、偶然にも。
現地に在住する、フットサルのプロ選手日本人の三浦さん(Keisuke Miura)に出会い、少しお話を聞くことができました。
イタリアはすべてが地域によって違う。
レッジョ・エミリアの人々は、育ちがよく、郷土愛が強く「自分の街が一番!」
人間関係は、とてもよく親切。
そして、お母さんの存在が第一。親のことを聞く人が多いそうです。
大人になっても頻繁に実家に帰省をし、みんなで一緒に食事をする。家族を大事にする。
レジャーは、公園に行ったり、散歩したり。広場でずーっとおしゃべりしたり。
あまり欲を出さず、あるべきところで満足し暮らしている。
心の豊かさを感じると、お話されました。
街のお祭り、イベントなども適当にあり、楽しいそうです。
その街を知るには、やはり暮らしてみないとわからない。
特に「こども」のことは、脈々とその地に続く何かがあるもの。
お母さんが第一。ここは、気になります。
お母さんの存在が大きくて、「こどもの100の言葉」を奪っている?
だからこそ、こどもの主体性を尊重する。レッジョ・アプローチが生まれたのかな?
日本の社会にもあてはまるところがり、何だか腑に落ちました。
最終日に食べた、このジェラート、生のフルーツ、そのままでした。
今までに食べたことのない、美味しさに、ほっと心満たされました。
(ピスタチオ、洋ナシ、ストロベリー。偶然にもトリコカラー!)
母の愛情に、強烈な砂糖の甘さはいらない。
こどもたちは、自然の甘さを感じたい、求めているのかもしれませんね(笑)
子育ては、その土地の文化・未来を創造すること。
子育てこそが文化。つまり日々暮らしの創造です。
ここに全てがあった!という感じでした。
今、ここに現地へ出向くことができたのも、何かのタイミング。
貴重な経験となり、次への活力となりました。
日々、心を寄せてくださるみなさまへ、感謝の気持ちを込めて。
また、報告会ができればよいなぁと思います。
今度は、レッジョ・チルドレンを肴に、日本酒で乾杯しましょう、語りましょう!
(by かとうゆみ)